Daisuke Uriu
Asst. Professor


  ・本棚を見て、反省
  ・本を読むようになったきっかけ
  ・本とギターとエフェクター
  ・一番思い入れのある本

 

瓜生 大輔さん
東京都練馬区
大学 助教 / 研究者

 

本棚を見て、反省

自宅のデスクの真後ろにこの本棚があって、
デスクから見て目に入るかなっていうのを
一応、意識して本を並べてます。
本棚を見ることで反省をするっていうのが基本的かな。
勉強してないなぁ、とか、
あ、並べたのに読んで無い、みたいな。
本はとりあえず買うね。
いまだに本を読むのが苦手で。
だけど買わないと無くなるからとりあえず本を買う。
買わないと忘れるから。

一番大事なはずの本はデスクに置いてあるんだけど、
これもなんかすでに忘れかけてるという、
積みすぎて下が取れなくなっている。

本は増えるね。
また増えてきてどうしようって。
本棚が足りないんだよね、
高さを調整したりしてるんだけど。
電子書籍?
電子書籍だと買っても読まないから。忘れちゃう。

 

 

本を読むようになったきっかけ

学部時代までは、ほとんど本を読んでないね。
学部の時は先生に言われて、
読んだ本がどんどん溜まっていく感じだった。
本を読むようになったのは大学院に入って、
論文を書かないといけなくなってからだよ。
研究のためがほとんど。うん。
修論の時、本を集めて、どうこうするっていうのを
始めたのが結構大きい。

うーん、本は読んでないんですよ、全然。
勉強するために隣にあるものは読んでるっていうか、、
なんというか。
むしろ新書とかをパラパラと読む
って時の方がすぐ読める。
ある知らないことについて、
ちょっと興味を持った時に、
まともそうな新書をまず読む、とかは当然あって、
新書自体は全部読んだりする。
それは読んでるって感じがする。
なにかの分野のこの著者は良さそうだな
ってのを見つけて、
新書を全部読んで、良さそうだったら、
その著者のもっと昔の分厚い本を押さえたりはするね。

 

 

 

本とギターとエフェクター

本にあまり愛着が無いからね。
ユーティリティとして捉えてるから。
だから自分の本棚から、何を思われるのかわからない。
プレゼントでもらった経験?本を?
俺に本をプレゼントする人はいないんじゃ無いかなぁ。

でも、本が並んでるのは好きだよ。
人の本が並んでてもかっこいいとか、
クールだとかそういうのは思わないけど。
自分が必要だと思って集めたものが、
溜まって並んでいく様は、まあ、好き。
コレクションというか、、うーん、なんだろう。
ギターとか、ギターのエフェクターを集めているから、
収集癖はあるんじゃない。

エフェクターはずっと好きですよ。
コレクターですから。
いろいろな種類がありすぎてね。
エフェクターって何か?
音が変わるんですよ。
音が歪んだり、遅れたり、音色が変わったり。
古いのを集めたりするのが好きだから。
今はあんまり買わないようにしてるけど。

 

 

 

これとか、カバンに入れて、
練習があるときに持っていく。
全然たいした量では無いよ。
ミニマムに減らして、
持ち運べるレベルにしたのがこれだから。
こんなにエフェクターっているのかって?
それはね、いい質問だね。
いらないと思う。

 

 

 

一番思い入れのある本

本は見えるようにしときたいんだよね。
その本の自分にとっての価値が
いつ上がるかわからないから、
見えるようにしておきたい。
こんな本持ってたじゃんって思って、
かき集めて、この本棚に移したりすることはある。
自分が今考えたいこと、その辺にあったじゃんって。
自分の“図書館”であるから意味があるんだよね。
他人の“図書館”に行っても意味がない。

 

 

 

一番思い入れがあるのこれだからね。
向かいの本棚のチャッキー。
去年亡くなったうちの犬。そこで見守らせてる。
自分で作った写真集。全部見繕って。
だから本にすることには価値を感じてるんだと思う。
この音楽配信の時代に、無くてもいいのに、
自分の音楽バンドのCDを頑なに作り続けてるけど、
それは、そういうものが完全に好きだからだろうね。
だから、自分の本を早く作りたいよね。

 

Pick up Book

“写真の哲学のために―テクノロジーとヴィジュアルカルチャー”

著: Vil´em Flusser 訳: 深川 雅文

フルッサーのこの本は、
修士課程からずっと基本となっている本で、
あんまり博士論文を書く時には読んでないんだけど、
論文を書き終わったあとに
また手に取ると確かにすごく大事だなという本。

うーん。なんていえばいいんだろう。
写真という技術が生まれた時の重さ、
っていうのは一番これが表していて。
写真を撮るという行為をフルッサーは
イメージをただ写生している行為、
つまりコピーをしているのではなくて、
何かしらの意味を込めるために
画像で残しているんだと。
なので写真の価値っていうのは
そこの作者の意図なり意味なり、込めた言葉なり、
もしあるとしたら、
そこに価値があるんだって解釈をしているんだけど、
現代のコンテキストで
それを批判的に述べることもできるし、
とはいえ、そういうものが大事なのではないか
って言われると、
意外と反論できなかったりして。
例えば、多くの遺影の写真って
なんで、あんな風になってるかっていうと
コンテキストを消すためなんだよね。
フルッサーが大事だと思うことを消し去っている。
時間軸とか、背景を消すってことは場所を消す、
その人がこの世に存在したことを消すわけだよね。
本来の写真の価値というのを
意図的にデジタル技術とかを使って人為的に消す。
ってことだったりして、、、、
まあ、そんな深いこと書かなくて全然いいんだけどね。